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彼女は正しい。だが理解していない、もしくは理解が足りない。

2018年1月23日

コレですよ。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/figure/2017/04/26/___split_11/
スポルティーバの明子さんのコラム…というか、感想文?w
もっとエモーショナルに。とのことですが、これはある意味正しいです。
明子さんの過去のプログラムをみればわかるのですが、彼女は選手時代一貫して、欧米的な表現を重視してやっていました。それは、今でも残っている彼女のプログラムをみれば一目瞭然で、彼女の表現は今でいうところのメドベなんかに繋がるところが多いです。
欧米的な表現とはなにか。
現役の男子選手でいうと、ハビとかジェイソンとか。そっち系ですね。
とにかく、自分をあたりにふりまく。自分からアピールする。気を外にどんどん散じてそこら中を自分で一杯にする。
「ホラ!ボクを見て!」とにこやかに笑いながらエレガントに手を差し伸べてくるような、そんなイメージ。
それが悪いとはいいません。むしろ、フィギュアスケートにおけるエモーショナルさという観点でいえば、そちらが正しいのでしょう。だってジャッジのほとんどは欧米人なのですから。
それがわかっているからゆづ君も、今年のショートのプリンスにおいては「観客とのコネクト」を課題にあげたのだと思います。
ただ、ホプレガに関していえば、ゆづ君自身が求めていた方向性が鈴木明子が言うエモーショナルとは真逆の方向性にあったと言えると思います。
ゆづ君自身がホプレガを「山とか川とか風とか、日本の自然を現したい」と言っていたのですから、エモーショナルさも日本的にならざるを得ません。
日本的なエモーショナルとは何か。
一言でいうなら、静の中の動ですかね。
こらえて忍んで……それでもぽろぽろこぼれ落ちてくるもの。決して自分からあからさまにすることはなくても、溢れて止まらないもの。密やかで秘めやかだけど、でも確かにそこに確固として存在する。
日本的なエモーショナルさというものは、そういうものだと考えますし、また、今回ホプレガでゆづ君が目指したモノもそれだと私は考えています。
だからこそ、一度でも失敗して流れが途絶えてしまうと台無しになってしまう。そんな危うい繊細さをもったプログラムだったと思います。
ゆづ君は何度もインタビューを受けて、いろんな雑誌にそのことは書いてあるのに、それを理解せずにもっとエモーショナルに!というのは、欧米的な表現をホプレガでしろとゆづ君におしつけているようなもので、全く理解がたりない、もしくは理解する必要が無いと考えているとしか言いようがありません。
欧米的な表現こそフィギュアスケートのエモーショナルだと鈴木明子自身が考えるのは自由ですし、彼女が彼女の方向性をそちら一方にするのは別に自由だと思うのですが、他の選手のことを、その曲の構想や構成、表現したいことを理解せずに足りないとか違うとかいうのはちょっとおかしいと思います。
欧米的なというなら、なぜSEIMEIのときはいわれなかったのか、と疑問に思いませんか?
なぜならSEIMEIは、はっきりとテーマが「戦い」だったからです。
欧米の歴史というのは、歴史=戦争といっても過言ではないくらい。
生きるか死ぬかがかかっている戦いの記憶というのは、欧米人のDNAにふかーく刻み込まれています。
ですから、人類共通項として、音楽が多少日本色であっても、簡単に伝わったのです。
しかしホプレガは違います。
日本人だけが持つと言ってもいいかもしれない、自然への敬愛、畏怖、感謝、同調――。
そういったものを表現しているものです。
そもそも欧米人は自然の音を言語に変換したりしません。彼らにとって風の音も雨の音もすべて「雑音」でしかありません。
しかし、日本人にとっては雨の音ひとつとっても、ざあざあ、しとしと、ぽたぽた、さーさー、じゃばじゃばなどなど、それこそ無限に現すことができますよね。
ゆづ君はそういう日本人にしかないかもしれない、感性的な部分を視覚化してみせようとしていたのではないかと思います。
ですから、欧米的なエモーショナルさなど、むしろ余計で邪魔なもの。もしもゆづ君がそういった表現をホプレガでしていたら、途端にやり過ぎてしらけるプログラムになっていたと思います。
前の記事にも書きましたが、ゆづ君は生まれながらの王者なんですよ。全身全霊求心力みたいな人。
安い芸能人のように、自分から他人に売り込む必要なんてないんです。
そんなことをすれば、むしろ彼自身が損なわれてしまう。
そのことは、結局一度も成功しなかったプリンスの楽曲とのちぐはぐさが雄に語っています。
彼が彼自身の精神に深く沈めば沈むほどに、憐れな一般人の我々は引き込まれずにいられない。
彼の世界観に。
彼の精神性に。
彼自身に。
彼がすべきことは、外にむけて自分を散じることではなく、とことん内省的になること。
どんな時でも、自分自身の呼吸に、心音のみに集中して、自分の五感をとぎすますこと。
ただそれだけでいいのです。
最後に、それの最たるものであったと今でも思える動画を示します。
ゆづ君ファンなら誰でも知っているであろう、伝説のニース、です。

これは何度見ても……
なんというか、一番最初、スタートのくるーんと回るところからすごいスピードではっとさせられ、そのまま目を離すことどころか瞬きも許されないまま最後までいってしまう。
2011年のGPシリーズで「すげぇ子がいる!」と思い、それからゆづ君の試合は欠かさず録画しています。
その、GPシリーズで初めて見たときに、「次のオリンピックで金メダルとるのはこの子だ」とものすごく強い直感が降ってきたのを今でもはっきり覚えています。
後からならなんだっていえると思われるのでしょうが、本当に雷がピンポイントで落ちたみたいに直感したんですよ。そしてそれは皆さん知ってるように本当になりました。
それにしても…
この演技でこけたのがバックアウトカウンターだったとは……
ゆづ君ファンならご存じでしょうが、今ではバックアウトカウンター直後のトリプルアクセルは彼の得意中の得意、必殺技といっても過言ではないくらい。
きっとこけたの悔しくてめっちゃくちゃ練習したんだろうなぁ…