「ファン」って何でしょうね?

何かの「愛好家」でいることが、他の誰かから何か押しつけられることになるなら、私はもう扇風機の方でいい……。

えーと。
私は2011年からのゆづ君のファンです。
なんか年々羽生沼へのハマリ方がやばくなってる気がしてます。

しかしそれでも。
ゆづ君のいうこと・やることを100%なんでも盲信することはできません。

彼の言動に「はぃ?」と思ったことは何度となくあります。
わざわざ物言いつけるほどのことではないと判断したので言ってないだけで。

「はぃ?」と思うところを含めて好きなのだからしょうがありません。
羽生結弦に苦言を呈したとしても、ファンであることにかわりはないのです。

以上大前提に、話を進めます。

何が「正確」かは現時点ではわからない

P&Gのトークショーにおいて、羽生結弦氏が

「男は家事しない」

と発言したというツイを複数みかけました。私が最初に目にしたのは

「『男は家事しない』ってこれ、羽生結弦だから許されることだから!一般人とは違うからそこんとこヨロシク!」

正確とは言えませんが、これに近い内容のツイが一番最初に目に入り、他にも、「男は家事しない」と書いたものを複数見かけました。

その後、そのことについていろいろ言う人が現れたのか、内容が徐々に修正され、

「男は家事が苦手っていってた」
「基本男ってのは家事しないですし~、友達にいますけどね。家事好きなコ」

という風に変わっていったように思います。

私はそのトークショーには参加してませんし、放送もされていません。
今後も放送予定はなさそうなので、実際にどう言ったのか、どういう流れで発言したのかを確認することはできません。

現時点でわかっていることは

「男は家事しない」と受け取った方が複数いた。
「男は家事が苦手」と受け取った方も複数いた。

これだけです。

これらのツイ内容に見られる羽生結弦氏の発言で、私が個人的にやめたほうがいいのではと思うのは「性別を持ち出している点」です。「しない」であれ「苦手」であれ、性別で分けて語るのはよくなかったのではと思います。

意識してるにしろ無意識にしろ、どんな事柄であれ片方の性別のみに一方的に負担が増えると思われかねない内容は少なくとも公の場では語るべきではないと考えます。基本的に、持って生まれた性別からは誰しも逃げられないのですから。

これは家事に限らず、ものごと全般にいえることだと思います。

そして私は、普段の羽生結弦氏の発言や行動を見るにつけ、どんな事柄であっても女だから~男だから~と性差で語ることはない人と認識していたので、

https://twitter.com/kurinon3/status/1000697420282396672

このように、「驚き」という表現をしたのです。
羽生結弦氏が「男は家事が苦手~」と一般論として捉えていたとしても、公の場で性差で語るのはよくないな、いくらゆづ君の考えであっても自分は受けいれがたいな、と思うだけです。

人それぞれ、考え方の違いでしょう。別に結弦氏の行動や考え方を変えなくては!などとまったく思っていません。

結弦氏の「自分は(家事は)やらない」についてですが、これに関しては「そらそうだろ(-。-;)」としか思いません。66年ぶり五輪二連覇という常人離れしたことをやろうとしてたんですもん。

しかも直近の怪我もあって時間がかなり限られていたという状況でもあります。
とてつもなく大きな目標を達成するために邁進する結弦氏を、納得した上で周囲の人達が助けるのなら、それはファンや他人が口だしすることではないと思います。

しかも、本当に目標に到達し夢を叶え、結弦氏本人が助けてくれた母親始め家族にこの上ないほど感謝しているんですしね。

著書「夢を生きる」の中で、結弦氏は母親の話題を持ち出されたとき泣いています。
23歳男子が泣くほど母親に申し訳なく思い、感謝してるってなかなかないことですよ。

今後、現役中は今まで通り母親始め家族に感謝しつつ、生活の雑事はやってもらうのでしょうが、それはそれでいいんじゃないでしょうか。結弦氏と母親他家族の間で納得しあっているのであれば。

母親が今のように彼の面倒を見なくなったとしても、時が経てば、結弦氏といえど必要に迫られてやるようになるかもしれないし、家事に関してはお金で賄うことが可能です。

引退後、結弦氏の収入が現役中より減ることは考えづらいですし、いくらでも人を雇うことは可能でしょう。
……もちろん、母親がしてくれたように何から何まで結弦氏の気に入るようにとはいかないでしょうから、ある程度の妥協は必要と思いますが。

ただ、その妥協を結弦氏がいつか得るであろう嫁に対してできるのかというのはまた別の問題ですが、それこそ他人が口だしすることでもないのでやめておきます。

ファンがファンを叩く構図

上の「男は~」の話題で羽生君ってそういう考え方だったんだ~とがっかりしている内容のツイをした人に対して、

「ファンなら感謝につながる言葉だってわかるでしょ!」とか
「あげあしとるな!」とか
「そんなこというならファンやめろ!」とか…

なんでそんなに同じファンに対して攻撃的なんですか?
羽生結弦ファンを名乗る以上、彼に関することは100%肯定的にとらえないといけない掟でもあるのでしょうか。

ファンだって一人の人間です。
結弦氏がいいと思ったモノでも、それはどうなの…ってなることは普通にあって当然でしょう。そしてそれを表現することも個人に与えられた自由のはずです。

ただ思ったことを言っただけなのに、ファンなら~○○だ!と個人が勝手に思ってるファン像を押しつけるのはいかがなものかと思います。

反論があるのなら、自分はこう思った、でいいのではと思います。

今回の件でいえば、羽生君は家事は女性がやるものだと思っているとはとらえなかった、自分は○○と思った。それだけでいいのでは?

そうじゃない内容を呟いてる人にファンやめろ!とか忖度しろ!とか矯正を強制する内容をツイすることが、あるべきファン像なんですか?

TL見てると「異論は認めない!ヽ(`Д´)ノ」感がすごくて怖いです。

 

美しい例え以外認めない空気

幕張初日のコラボ衣装についてもそうです。

あの衣装、私には「また微妙なのもってきたな…」としか思えませんでした……。

ただ、私はあの衣装に関しては写真しかみてません。
スケートの衣装は滑ってナンボ。ましてやアイスショーの衣装ともあれば、照明の関係もありますし、試合よりも滑ったときの見え方が重要になってくると思います。

だからツイでは何もいいませんでした。

ただTLで「ウミウシ」という言葉をみかけ、ああ、たしかにアオウミウシに色が似てるなぁと思いました。

私はウミウシという生物に対してマイナスのイメージを持ってません。ちょっとうねうねしてますが、ちっちゃくて色鮮やかで綺麗な生き物だと思っています。

それですら、貶めてる!と呟いてる人がいてもう……。

その人にとってウミウシは不気味な生き物なのかもしれません。
ウミウシに例えることは貶めてるというくらいですから、下等生物扱いなのでしょう。

ウミウシを不気味な下等生物と思うのは個人の自由ですが、ウミウシに例えた人間をさして、結弦氏を貶めてると責めるのは一方的だと思います。

他にもTカードとかIKEAのカードとかもみましたが…。
ぱっとみの色が似てるのは事実ですよ。それを指摘しただけで貶めてることになるのですか?

仮にカードにたとえてバカにしたような内容があったとしても、「そんなこというなんて!」と言った人を責めるのではなく、「カードに例えてるひといるけど、私はそうは思わなかった」でいいと思うのです。

羽生氏の衣装ひとつとっても、見た人がどう思うかは個人それぞれの感覚に委ねられています。そして、思ったことを呟く権利は誰もが平等にもっているものです。

呟いた内容について、こんなこと言うヤツは貶めてる!というのは、他人の感性を頭ごなしに否定することなのではないでしょうか。

違うと思うなら「私は好き」とか「綺麗だと思う、素敵!」と言えばいいだけで、そうじゃない意見を攻撃する必要はないと思うのですが。

 

風紀委員の存在と風紀委員以上に他のファンを叩くファン

もう一つ、本当にいつもいつもうっとおしいなと思うのが、「風紀委員」の存在です。

羽生ゆずれないの件にせよ、先日の宇野の4Aについて「遊んでる場合じゃない」発言にせよ、不愉快だということを表明すると、

「こんないじめのようなことをいうなんて!羽生君がどんな目にあってきたのか忘れたのか!こんなことをいうのはアンチと同じ!羽生君がどう思うか考えろ!!」

という人がいっぱいでてきます……。

これ、ホント萎えるんですよね。
吹けば飛ぶようなしがない一ファンでしかない人間のツイ内容を羽生結弦氏が逐一チェックしているワケもないし、もし1億分の1くらいの確率でたまたま目にしたとして、彼がどう思うかなんてわからないとしか言いようがありません。あったこともしゃべったこともない人ですから。

そして、羽生ゆずれないにしろ、宇野にしろ、芸能人として、日本代表フィギュアスケート選手としての立場での活動中のことを言っているのです。

称賛されることもあれば、批判をうけることもあって当たり前なのでは?
なのに「羽生ファン」を名乗ると途端に同じファンでしかない他者から言論を抑制されるって、なんでですかね?私には理解できません。

悪質アンチと同じ、という言葉にはもう……言葉がでないです。

ありもしないことを切り貼りした画像や動画を使い、あったかのようにみせかけ批判中傷することと、公の立場、仕事としてやってることの言った内容に不快感を示すことが同じなんですか?

羽生は震災時仙台にいなかったから被災してない!羽生結弦は嘘をついている!と、まったくの事実無根な内容を広めることと、本人が実際に言ったりやったりしたことに対する批判が同じなんですか?

もし本当に同じと思ってるのであれば、全く考え方が違うので相容れませんとしか言いようがないです。

なによりも理解できないのは、この風紀委員の人達が使う、「羽生君がどう思うか考えて!」「羽生君が悲しむよ!」という言葉です。

他人の持つ権利と自由である表現することを、同等の立場の他人が上から目線であげつらねたあげくに、そんな権利あるはずもないのに統制しようとし、さらに本尊の名をもって口を塞ごうとしている。虎の威を借る狐そのものです。

私は基本的に、人間に対し「そんなことをいってはいけない!」と言えるのは、子供とされる年齢の人に対する親か親と同等の人しかいないと思います。言わないで欲しいや、聞きたくないと言うことはできても、「いうな!」と止めることは親以外誰にもできない。そう思ってます。

羽生ゆずれないの件では、不快感をあらわにした人がとても多い印象でした。
その時に不快感を表した人達の中には、風紀委員に対して疑問を呈していた人もたくさんいました。

なのに、羽生結弦氏の発言に対して疑問を呈すると、そうした人達がよってたかって

「ファンならわかるでしょ!」
「あげあしとるな!」
「そんなこというならファンやめろ!」

こんなことをいって、風紀委員以上に同じファンを叩くという…。

ダブスタすぎやしませんかね?

ゆずれない、宇野、羽生結弦本人。誰であろうと仕事の最中の言動について視聴者やファンが肯定でも否定でも、もの申すのはごく自然なことのはずなのに、誰かを否定するのは言ってもよく、他の誰かを否定すると周囲からフルボッコされるって。

本尊守るのは当たり前って言われそうですけど、同じ人のファン同士で相手を叩いてまで本尊守ろうとするって、余りにも盲目的過ぎて正直ドン引きです。

 

個人的Twitterの功罪

とりあえず、Twitterで羽生ファンやるのはとっても息苦しいということがわかりました。
特に私のように、本尊であっても言いたいことは言うというスタンスの人間には。ほんのちょっとしたつぶやきにすら、あーだこーだと各方面からチェック入るし。

知り合いの羽生ファンの方はTwitterはめんどくさいから情報収集にしか使わないと言ってましたが、こういう流れを見てとても納得しています。

ただ、そんな中、ごくわずかであっても、解ってくれるひともいるようです。
楽しいなぁ~と思うこともこの半年でいくつもありました。

このごくわずかな楽しさをくれた人達のおかげで、まだTwitterやめよう~と思うところまではきていませんので、もう少し続けて見ようとは思っています。